100形
元々は阪急京都線の前身となる新京阪鉄道が1927年から製造したP-6形電車で、京阪神急行(のちの阪急)が発足した後、100形という形式名に改められました。東海道本線との並行区間で、国鉄特急「燕」を追い抜いたというエピソードが有名で、長距離を運行する高速電車の草分け的な存在となりました。
最終的には1973年に引退していますが、京都線にとって重要な車両である事から以降も動態保存が続き、正雀工場のイベント等で公開されることがあります。

上写真は正雀工場にて。
簡単な年表
1927年 登場
1973年 引退
最終更新:2023/6/11 ページの作成



〜保存車〜
101
(正雀工場)
116
(正雀工場)
※動態保存


〜Others〜
標識灯パンタグラフ台車


〜行き先表示〜
前面サボ
急 京都〜大阪

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